こんにちは。
東葉コンディショニング代表の加賀谷慶太です。
まず最初に、簡単な自己紹介をします。
現在、私は「痛みと本気で向き合う整体院 東葉コンディショニング」
を東京都と千葉県で経営しています。
世の中にいるたくさんの
・カラダの不調で自分の力を発揮できずにいる人
・カラダの不調で人生に希望を持てなくなっている人
など、カラダの不調で苦しんでいる人たちの助けになり、人々が幸せを感じてくれること、悲しみを減らすことを目指しています。
それでは、整体院東葉コンディショニング立ち上げるに至った経緯をお話させていただきます。
私が整体師になったキッカケは、私自身腰痛で苦しんだ経験があるからです。
私の腰痛との闘いは、中学3年生の時、少年野球の試合中ベース上を駆け抜けた瞬間に突如起こりました。
歩けない程の激痛が腰に出て病院に…。
検査の結果、腰椎分離症と診断され、病院で痛み止めの注射をしてもらったり、整体や鍼灸などの治療を受けました。そして、何とか痛みをこらえながらも少年野球を最後までやることができました。
数ヶ月後、どこの高校に進学するのかを決める際、この腰痛で高校にいって、野球が続けられるのか不安で悩みました。しかし、小さな頃から甲子園に憧れていた私は、高校野球の名門秋田商業に進学することに決めました。
実力を認められ、嬉しいことに高校一年生の夏休み頃から試合で度々使ってもらえるようになりました。
しかし、タイミングの悪いことに腰痛が再発。
「このチャンスを失うわけにはいかない!」と思い、痛みを我慢しながら練習を続けましたが、結果的にこれがに裏目でした。
9月に入った頃、激しい痛みに加え足の感覚が無くなってきたため、家族に担がれて病院へ…。そのまま車椅子に乗せられ、外来から入院病棟に移されてしまいました。入院してからは、ブロック注射や牽引、ホットパックなどの治療の日々。そして1ヶ月後、痛みは残っていたものの、普段の生活にはそれほど影響が出ないと判断し退院しました。
1週間ほど自宅療養した後、久しぶりの登校。「もうレギュラーは無理かな?」「野球部辞めようかな?」なんて弱気になりながらも、野球部の監督に退院のあいさつに出向きました。その際、「3年生の夏の大会で活躍してくれればいいから!」と思いもよらぬ励ましのお言葉を・・・。
この言葉で「まだ監督さんが期待してくれている!」と気持ちにスイッチが入りました。
それからは、「野球を思いきり出来るような体に戻りたい!」
その一心で、良いと聞けば、秋田県内はもちろんのこと山形・宮城・東京・神奈川までも出掛け、多くの治療院を訪ね歩きました。
そして冬休みに入り練習に復帰。
いきなりチームメイトと同じ練習など出来るわけはなく、別メニューで軽いランニング、筋力トレーニングなどで、少しずつ体づくりからはじめました。年末年始休暇もトレーニングを休まず続け、年明けには監督に志願し全体練習に参加。しかし、入院前より筋肉は衰えていて体重は10キロ減。チームトップクラスの足の速さが、5本指に入る足の遅さに、バットを振っても周りよりスイングが弱い、練習についていくのがやっとで毎日がヘトヘト、想像以上の衰えと周囲の成長を感じました。
2月に入り、ある程度動いても腰痛は大丈夫と自信が出てきました。それからは、チームメイトからの遅れを取り戻すために、居残り練習、自宅に帰っても自主練を繰り返しました。その間も合間を見ては腰痛予防のために治療院を訪れ、治療家の先生に随分と良くしてもらいました。
2年生の夏の大会には、チーム内にケガ人も出てギリギリでベンチ入り。そして高校2年生の秋、自分たちの年代になって念願の背番号5をもらいました。この時、本当に諦めずに頑張ってきて良かったと胸が熱くなりました。そして、3年生になってからは打順も1番に定着。残念ながら甲子園にはいけませんでしたが、最後までレギュラーとして試合に出ることが出来ました。
自分にとっては大変な高校野球生活でしたが、両親はじめ周囲の方たちの協力と素晴らしい治療家の先生の存在が多くの試練を乗り越えさせてくれたと思います。
この3年間で私は、
・体の不調で自分の力を発揮出来ずにいる人
・体の不調で人生に希望を持てなくなっている人
が世の中にたくさんいることを知りました。
そして、「健康とは何物にも変えられないかけがえのない宝」だと感じました。
このような経験から整体師を目指し、自分と同じように、今、現在苦しんでいる人たちの助けになりたい、多くの方々の悲しみを減らしたいと考え作り上げたのが「痛みと本気で向き合うからだの整体院 東葉コンディショニング」です。